2013年08月31日

いよいよ、移転します。

こんにちは。ようこそ。
ブログ読んで頂きありがとうございました。
下記に移転しました。今後とも訪問していただけますようお願いします。

http://www.univ-yshop.com/blog/  

Posted by ちびたか at 21:25Comments(0)

2013年08月25日

残念!

早めの夕食を丸子の丁子屋のとろろを食べに行こうと朝から楽しみにしていましたが、雨がまた降り始めています。
なにしろ、自転車ですからね。雨の日は極力乗らないようにしています。  

Posted by ちびたか at 16:13Comments(0)食べ物

2013年08月25日

イチロー選手の母校で当時監督の中村氏は語る

「誇れることがあるとすると、4,000のヒットを打つには、
 8,000回以上は悔しい思いをしてきている。
 それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、
 誇れるとしたらそこじゃないか」

昨日の4,000本安打という大記録達成の記者会見で
イチロー選手が語った言葉です。

他にも

「小さいことを積み上げることが、
 とんでもないところへ行くただ一つの道」

という、自らの体験の中から生み出されたイチローの言葉は、
22年のプロ生活の中で、常に人知れぬ努力を重ね、
歴代3人目という偉業を果たしたイチロー選手からの贈り物のように感じます。

日米通算4,000本安打という記録も単なる通過点に過ぎず、
新たな夢と挑戦は、私たちに大きな夢と希望と勇気を与えてくれました。

以前イチロー選手の母校、愛知工業大学名電高校で
当時監督をされていた中村豪氏が、当時のイチロー選手を語っている記事がありましたので
ご紹介させていただきます。

************************

 愛知工業大学名電高校、豊田大谷高校で野球部監督を務めた31年間、
部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。

「やらされている百発より、やる気の一発――」

 いくら指導者が熱を入れても、選手側が
「やらされている」という意識でダラダラ練習をしていたのでは何の進歩もない。

 やる気の一発は、やらされてすることの百発にも勝る。
そのことを誰に言われずとも実践し、
自らの道を開拓していったのが高校時代のイチローだった。

 彼と初めて出会ったのは昭和63年、私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」
 というОBからの紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、
 170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。

こんな体で厳しい練習についてこられるのか、
 と感じたのが第一印象だった。

 私の顔を真剣に見つめながら

「目標は甲子園出場ではありません。
僕をプロ野球選手にしてください」

 と言う彼に、こちらも「任せておけ」とはったりを噛ました。

700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、
自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。

愛知には三強といわれる野球伝統校があるが、彼が選んだのは
 当時、新興チームだった我々の愛知名電高である。

 監督の私が型にはめない指導をすること。
プロ入りした選手の数が全国随一だったこと。
実家とグラウンドの距離が近かったこと。
3年間寮生活をすることで、自立心を養い、縦社会の厳しさを学ぶこと。
すべてあの父子の、熟考を重ねた末の選択であった気がする。

 鳴り物入りで入部したイチローは、
新人離れしたミートの巧さ、スイングの鋭さを見せた。
走らせても速く、投げては130キロ近い球を放る。
1年秋にはレギュラーの座を獲得し、
2年後にはどんな選手になるだろう、と期待を抱かせた。

 非凡な野球センスを持っていたイチローだが、
 練習は皆と同じメニューをこなしていた。
別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、
これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。

 そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、
暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。
結局、人にやらされてすることを好まず、
自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。

 自分自身との日々の戦いの中で、本人が掴んでいくより他、仕様がないのである。

 人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、
 3年生になったイチローは7割という驚異的な打率を誇る打者に成長し、
「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」と豪語していた。

 プロ入り後の活躍は皆さんもご承知のとおりだが、入団1年目に彼は
 首脳陣からバッティングフォームを変えるようにと指示を受けたらしい。

「フォームを変えるか、そのまま二軍へ落ちるか」

と厳しい選択を迫られた彼は、フォームの修正を拒否し、自ら二軍落ちの道を選ぶ。
 そしてその苦境の中からあの振り子打法を完成させるのである。

 その後も評論家からは「あんなフォームで打てる訳がない」
などと酷評されたが、結局彼は自分の信念を押し通し、
 球界に数々の金字塔を打ち立てた。
その根っこには、人並み外れた彼の頑固さと、
 野球に対する一徹な姿勢があるのだと思う。

 今年、イチローは大リーグで日米通算3,000本安打という偉業を達成したが、
 これも彼にとっては単なる通過点にしかすぎないのだと思う。

 いまや世界のスーパースターになったにも関わらず、
彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。
その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。

 私がイチローを育てたと言われることがあるが、
 私は彼のことをただ見守ったにすぎない。
私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。

                「致知」2008年12月号「致知随想」より
               *一部省略の部分もありますので、ご了承くださいませ。

  

Posted by ちびたか at 14:30Comments(0)趣味・生きる

2013年08月25日

在来種の野菜で稲垣先生を祝う会



ビオス松木さんもご一緒に、柴田恵さん、平野さん、
35年前ですというが、南極探検のシェフをしたことがある望月さん。いまは井川の白樺荘でシェフをしていらっしゃるかたや、井川で在来種のオランドという名のジャガイモなどを育てている望月ひとみさんごふさいなどで、在来種の野菜で料理を戴く。

在来種のジャガイモ6種類のお皿や、在来種のきゅうりのスパなど、写真をのせようとおもたら、
ここで、画像の容量がいっぱいの表示が出た。
えええー、折角の写真が載せられない。
  

Posted by ちびたか at 11:32Comments(0)

2013年08月25日

駄菓子屋カフェの仕入れをしてくれた松田くんと



夜10時だった。
稲垣先生を祝う会で焼津からの帰り、静岡改札口で偶然にも松田君と出会った。
自転車置き場まで送ってくれた。
心優しいボーイだ。
自転車置き場の前の、アソシアホテルで記念写真を撮った。



松田君は今は京都に住んでいる。
松田君は、虹色のピアノを作ったり、以前はイスラエルの農場で体験したり台湾や日本全国を旅して行動的だ。
前途に幸多くありますようにと祈る。
  

Posted by ちびたか at 11:03Comments(0)

2013年08月25日

バッチリ、健康的な朝食



遅めの朝食は、

インゲンの胡麻和え、
かぼちゃ煮、
茄子の味噌炒め、
サクラエビの佃煮、
玉ねぎとジャガイモ味噌汁、
奈良漬(うなぎの三味さんに戴いたもの)、

手前味噌ですが、うう~ん美味しい!
幸せ気分です。

雨が上がってきましたね。
早めの夕食を、
丸子の丁子屋でとろろを食べに行こうかと。

早めの夕食までに、
大きな課題であるレポートに取り掛かろう1  

Posted by ちびたか at 10:46Comments(0)

2013年08月23日

年齢不詳?



こういう格好すると、年齢不詳?・・・
怪しげに年齢不詳って魅力だと思いませんか。
歳を加えるごとに年齢不詳になりたいな。
怪我の後遺症に悩まされても、坐骨神経症と戦いながらも、80歳になってもロードバイクに乗っていたいな。




先週の土曜日でした。
「あらっ、加藤さん、戸塚さんじゃあないの。おはようございます」撮り馬鹿隊の加藤さんと戸塚さんが早朝3時に富士山の撮影に出かけて帰って来た所でした。
加藤さんが撮ってくれた写真です。この写真で明白になったのは、頭ひとつ分以上に背の高さに違いがある青年と老女でした。
52歳の戸塚さんに”青年”と呼ぶのは「ウルフの青年」の精神だからです。

  

Posted by ちびたか at 10:33Comments(2)

2013年08月23日

処暑



幼子がビールの缶を抱きしめて、
ぷはっと笑う それは私か(俵 万智)

8月23日頃、暑い日々も終わり、朝や夕方の風がひんやり気持ちよくなりますが、台風には、要注意。

致知出版社 おかみさん便りの小笠原節子さまより
下記のメッセージをいただきました。

昼間の情熱的な太陽とは対照的に
闇に浮かんだ月の光が映える頃には
涼やかな風が頬を撫でる頃となりました。

この暑さも今日の「処暑」を境に、
次第に穏やかになるかと
秋の訪れが待ち遠しい思いです。

ほんのひととき、夏の花々とともに
坂村真民一日一言より
「自分の花」の詩に、
こころ安らぐ言葉に触れていただければと・・・

http://chichi.happy.nu/24/autumn02/

イチロー選手4000本安打の偉業
奥村幸治 (NPO法人ベースボールスピリッツ理事長、宝塚ボーイズ監督)は、
イチロー選手のプロ入り3年目の年、
彼の専属打撃投手となった私は、
寮生活で1年間寝食をともにし、多くのことを教わった・・・。

             『致知』2010年6月号「致知随想」
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

私は、場当たり的に過ごしているのではだめだなああと、自分を振り返る。



  

Posted by ちびたか at 10:09Comments(0)

2013年08月21日

朝食にスイカ



暑さをしのぎます。


  

Posted by ちびたか at 08:13Comments(0)食べ物

2013年08月20日

「ブログ移転」と言いましたが・・・

eしずおかブログ「庭子の部屋」をこのまま継続して、様子を見ていきます。
今後とも引き続き、見てください。
よろしくお願いします。
  

Posted by ちびたか at 22:07Comments(0)