2013年08月25日

イチロー選手の母校で当時監督の中村氏は語る

「誇れることがあるとすると、4,000のヒットを打つには、
 8,000回以上は悔しい思いをしてきている。
 それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、
 誇れるとしたらそこじゃないか」

昨日の4,000本安打という大記録達成の記者会見で
イチロー選手が語った言葉です。

他にも

「小さいことを積み上げることが、
 とんでもないところへ行くただ一つの道」

という、自らの体験の中から生み出されたイチローの言葉は、
22年のプロ生活の中で、常に人知れぬ努力を重ね、
歴代3人目という偉業を果たしたイチロー選手からの贈り物のように感じます。

日米通算4,000本安打という記録も単なる通過点に過ぎず、
新たな夢と挑戦は、私たちに大きな夢と希望と勇気を与えてくれました。

以前イチロー選手の母校、愛知工業大学名電高校で
当時監督をされていた中村豪氏が、当時のイチロー選手を語っている記事がありましたので
ご紹介させていただきます。

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 愛知工業大学名電高校、豊田大谷高校で野球部監督を務めた31年間、
部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。

「やらされている百発より、やる気の一発――」

 いくら指導者が熱を入れても、選手側が
「やらされている」という意識でダラダラ練習をしていたのでは何の進歩もない。

 やる気の一発は、やらされてすることの百発にも勝る。
そのことを誰に言われずとも実践し、
自らの道を開拓していったのが高校時代のイチローだった。

 彼と初めて出会ったのは昭和63年、私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」
 というОBからの紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、
 170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。

こんな体で厳しい練習についてこられるのか、
 と感じたのが第一印象だった。

 私の顔を真剣に見つめながら

「目標は甲子園出場ではありません。
僕をプロ野球選手にしてください」

 と言う彼に、こちらも「任せておけ」とはったりを噛ました。

700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、
自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。

愛知には三強といわれる野球伝統校があるが、彼が選んだのは
 当時、新興チームだった我々の愛知名電高である。

 監督の私が型にはめない指導をすること。
プロ入りした選手の数が全国随一だったこと。
実家とグラウンドの距離が近かったこと。
3年間寮生活をすることで、自立心を養い、縦社会の厳しさを学ぶこと。
すべてあの父子の、熟考を重ねた末の選択であった気がする。

 鳴り物入りで入部したイチローは、
新人離れしたミートの巧さ、スイングの鋭さを見せた。
走らせても速く、投げては130キロ近い球を放る。
1年秋にはレギュラーの座を獲得し、
2年後にはどんな選手になるだろう、と期待を抱かせた。

 非凡な野球センスを持っていたイチローだが、
 練習は皆と同じメニューをこなしていた。
別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、
これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。

 そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、
暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。
結局、人にやらされてすることを好まず、
自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。

 自分自身との日々の戦いの中で、本人が掴んでいくより他、仕様がないのである。

 人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、
 3年生になったイチローは7割という驚異的な打率を誇る打者に成長し、
「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」と豪語していた。

 プロ入り後の活躍は皆さんもご承知のとおりだが、入団1年目に彼は
 首脳陣からバッティングフォームを変えるようにと指示を受けたらしい。

「フォームを変えるか、そのまま二軍へ落ちるか」

と厳しい選択を迫られた彼は、フォームの修正を拒否し、自ら二軍落ちの道を選ぶ。
 そしてその苦境の中からあの振り子打法を完成させるのである。

 その後も評論家からは「あんなフォームで打てる訳がない」
などと酷評されたが、結局彼は自分の信念を押し通し、
 球界に数々の金字塔を打ち立てた。
その根っこには、人並み外れた彼の頑固さと、
 野球に対する一徹な姿勢があるのだと思う。

 今年、イチローは大リーグで日米通算3,000本安打という偉業を達成したが、
 これも彼にとっては単なる通過点にしかすぎないのだと思う。

 いまや世界のスーパースターになったにも関わらず、
彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。
その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。

 私がイチローを育てたと言われることがあるが、
 私は彼のことをただ見守ったにすぎない。
私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。

                「致知」2008年12月号「致知随想」より
               *一部省略の部分もありますので、ご了承くださいませ。

  

Posted byちびたかat 14:30 Comments(0) 趣味・生きる

2013年08月11日

愛した・愛する帽子



以前にお話したのですが、この黒い帽子は瀬名川の土手沿いで風に飛ばされてとうとう出てきませんでした。
50年前に買った帽子で黒のパナマが使い続けて自然の色に帰りいい色になっていて、ますます愛着が湧いていたところでした。
つばが狭いのでお部屋の中でも被れて便利していました。
この帽子が無いのは寂しいです。


このパナマ帽子も40年余になります。
もともとは綺麗な水色だったんです。
長い年月の中で、自然な色に帰ってしまいました。
今はこれを、麦藁帽子のように気楽に日よけ帽子に使っています。




この帽子は、バッファローのマークがついているのが価値があります。
中西部に位置するコロラド州ボルダー大学を見学した時に買ったものです。
ボルダー大学はラグビーでも有名で、ノーベル賞受賞者を3名出しています。
大学のグッズから町の並木道に至るまでバッハローがマークに使われています。
びっくりしたのは、大学内の売店です。
売店のレジは番号がついて32台並んでいました。
大学内グッズは、大人のTシャツ・帽子は当たり前で幼児の靴下から子どものTシャツまで多種多様に豊富にあり、オヤも熱心買っていました。
親としてはボルダー大学のグッズを身につけてラグビー応援するのがステータスのようです。
  

Posted byちびたかat 07:30 Comments(0) 趣味・生きる

2013年07月07日

油山温泉「油山苑」で落語の会














あじさいも萎れる猛暑の日、油山温泉「油山苑」で、今年で7回目、7年目の落語の会が昼食つき・温泉つきで開かれた。
幕の内弁当がおいしかった。
働き者の女将さんと、板前のご主人の名コンビの「油山苑」。

心配りに感謝です。
また、行きたいところのひとつに加わりました。

  

Posted byちびたかat 18:38 Comments(0) 趣味・生きる

2013年06月23日

私のお葬式は、クラシックの風で

昨夜、笑顔美人の姪っ子のお通やに参列した。
48歳、あまりにも若すぎる。親よりも早く亡くなってしまう逆転ほど悲しいものはない。
商売していた関係と残された子どもの学校関係など、お通やで300人以上が参列した。

昨今のお通やの常識は、お葬式と同じような服装であるようで、疑問を感じる。
お葬式と違って、お通やは「急遽駆けつけた!」服装でいいのではないのか。
もちろん、赤い服などは当然ダメですが、紺色あるいは灰色のスーツでもいいのでは?、夏だったら白いブラウスに黒のスラックスなどでいいのでは?ないか。

そんなことをおもいながら、
大慌てで友達に黒いバックを借りたりして貸してくれる友がいてありがたいなあとおもいながら調えて、常識に従った服装で出かけた。


そして、私の葬式はと、考えた。
密葬にして、のちに「送る会」にする。
そして、ジャズのソニーロレンスも好きだから、ソニーロレンスで楽しくと思っていたが、「クラシックの風」いいな。
クラッシクの風・プチで弦楽四重奏を奏でてもらい、立食パーティーで楽しく交流していただきたいなと思う。
京極さん、私の葬式を音楽で送ってくささい。よろしくね。
そんなことをとめどもなく考えた日だった。  

Posted byちびたかat 11:03 Comments(0) 趣味・生きる

2012年06月16日

北大付属植物園



ライラックの花



カラスに注意の看板



カラスがいた



カラスではなく恋人でした。







これがハンカチの木






  


Posted byちびたかat 00:24 Comments(0) 趣味・生きる

2012年06月15日

風のガーデン

















2012/6/9行って来ました。テレビで「風のガーデン」が放映されているとき夢中で見たあの日を思いました。思わずCDを買ってしまいました。  


Posted byちびたかat 23:30 Comments(0) 趣味・生きる

2012年05月29日

45年ぶり





昨夜の豪雨がもたらした縁です。
雨漏りなどで大家さんが頼んだ大工さんが見えました。

俺!わかるか?
鳳凰三山を一緒に登ったよ

う~ん、遠い、遠い、遠い記憶を呼び起こす。

だんだん、記憶がよみがえってきた。
あー、いさちゃんだ1
いさちゃんだ。

いさちゃんは大家さんおかかえの大工さんだった。  


Posted byちびたかat 11:00 Comments(0) 趣味・生きる